鎌倉彫教室 【歴史】 鎌陽洞


鎌倉彫教室 鎌陽洞

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鎌倉彫教室では若い方からご年配の方まで
年齢層は幅広くおこし頂いております。

歴史

全国の津々浦々、日本の町や村、どこでもその地方には独自の歴史が刻まれています。
鎌倉もそうです。
平安時代の終わりの源平の乱を経て、12世紀末、鎌倉が政治の中心地になりました。鎌倉時代です。
それ以前の鎌倉は、漁などで暮らす人々が住む所であったそうです。静かな海辺の地を政治の中心地にしようと定めた時から、政務を行なう建物や武士たちの住居、道路や商店街など、都市生活に必要なさまざまな設備を整えるのに急を要し、繁忙を極めたであろうことは容易に想像出来ます。
都市の体裁をあらかた整え、次に、幕府が力を注いだのは禅宗の導入でした。 13世紀中期に、禅僧の招聘、禅宗寺院の建立が盛んになります。
禅宗寺院には、禅宗学問に必要な書物をはじめ美術品、儀式具調度などが中国から取り寄せられていました。その中に多くの彫漆工芸品があり、これを彫刻技術に巧みな仏師が、木で形作り、彫刻し漆塗りをしたのが鎌倉彫のはじまりであると言われております。
歴史的には、鎌倉だけでなく、京都でも禅宗文化は盛んでしたから、名品と言われているような古典的鎌倉彫のものが、京都を中心とした寺院にも、伝わっています。


鎌倉市内の、鎌倉彫とゆかりのあることがらを、少しご紹介します。

鎌倉時代 鎌倉幕府は武士階級の学問、思想として禅宗を積極的に取り入れました。
1253年 建長寺創建 鎌倉彫の祖形のような禅宗儀式具を伝世
獅子牡丹文透かし彫り須弥壇
牡丹文透かし彫り前机(応永35年 銘)
1282年 円覚寺創建 創建当初からの中国彫漆工芸品や文献を伝世
獅子牡丹文透かし彫り須弥壇
牡丹文透かし彫り前机
鎌倉彫グリ文大香合(永禄8年 銘)
室町時代  14世紀幕府崩壊後、関東管領時代になっても禅宗支援は続きました。
京都五山(天竜寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺)と並んで、 鎌倉五山
(建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺)と呼ばれました。
 また、禅宗文化の一環としての茶の湯文化の興隆に伴なって、香合、
盆等 の茶道具の鎌倉彫が作られるようになりました。
これらの古典作例は、鎌倉国宝館(市内雪ノ下)、鎌倉彫資料館(市内小町)
などに 多く収蔵されています。
伝統鎌倉彫事業協同組合 資料参照





グリ文大香合

27cm

グリ文大香合

奴田伸岳が作成した作品です